武士道

真 陰

精神基底

鎌倉時代、吉野時代、室町時代、江戸時代、明治、大正、昭和
鎌倉時代以来、武士道として体型付けられて来た、我が国の精神基底ですが、時代の背景とともに文化を造り進んできました。
封建制度などを確立し、そこから生まれた規範心が、現代の自由主義社会においても、何の宗教観もなく、精神基底を維持しているのは、さすがに純粋な八百年の歴史です。
封建制度を体験した国の民度は高いという言葉をよく聞きます(封建制度が良いというのではありません)、海に囲まれて育った純粋な文化は、奇跡的な心の文化を造って来たのです。

武士道は水戸学や葉隠れなどがありますが、イギリス憲法のように、成分化されているわけではありません。
定義が無いのです。
しかし時代の変化はあろうとも、その精神基底はしっかりと私達に染み込んでいます。
礼の作法、高い道徳性、人を助ける事、ありとあらゆる正義、非と感じる悪事、恥を強く感じる心、内向的芯の強さ、等。
国際社会を生きる中、「日本人は自分を表現するのが下手だ」「何を考えているか解らない」などと称され、一方で「誠実で勤勉」と言われています。
武士道独特の、奥ゆかしさ=秘めたる集中力を無意識に造る、最適の方式であることに驚かされます。

昨今、武士道が流行りだして、新渡戸稲造氏の「武士道」がイメージにあるようですが、これはベルギー人を奥さんに持つキリスト教徒の新渡戸氏が、当時、欧米のキリスト教徒に向けて、日本の精神基底の姿を紹介してくれた本です。
明治という状況で、国際社会に日本文化を理解してもらう上にも、その基底を忘れようとしている現代日本にしても、素晴らしい本です。
しかしそれは紹介の本であり、武士道の真を説いたものではありません。
私たちは表から武士道を見るものではなく、しっかりと芯を見つめなくてはならないのです。

我が国の歴史上でも類を見ない、戦後の平和ボケ思想が続いている状況下、マスコミというスパイ戦術で、誘導されていて出口の見えない国体体制。
戦争に負けた国は100年間は、その敗因分子で荒廃すると言われています。
戦うことを忘れ、平和という簡単な文字を利用され、気概心をも無くそうとしている今。
世界でも類を見ない不良の溢れ方、引きこもりや、いじめが多いのも当たり前ではありませんか。
精神基底の無い論理で自由・平等・博愛と、いくら理想を唱えても、失敗しているのはあたりまえなのです。
武士道は史上もっとも優れた精神文化であると言われています。
その本質とは何なのでしょうか。

道の本質

武士道と本格的に、言葉で言われ出したのは明治からです。
それまでは侍の”当たり前”の道でした。
そもそも武士道の「道」とは国を守る事なのです。
当時なら「藩」や「お家」を守ることです。
道が巨木であるなら、剣術や柔術や弓術など、様々な武術は、礼儀作法も含め、国を守るための、根の役割だったのです。
強い根が無ければ木は倒れてしまいます。
その根に町人拝金主義がある訳がありません。
相撲のように礼儀と儀式で、民に模範付けするものでなければならないはずです。
3エス政策ごとく、国民の目を政策に傾けないよう、娯楽へと注意を運ばせ、しかも目聡い者が金だけを目的に便乗する、或いは流行るために行う、一石二鳥の町人文化の形成。
売るためには何でもやり、規範心なんかはどうでも良いものを、作り出しているに過ぎないのです。
格闘技は規範を作る「道」の根であり、妙薬で根を腐らせるものであってはなりません。
なぜなら武士道の「道」は、「人の道」にならなくてはならないからです。

侍は日本の全人口の5パーセントに過ぎず、明治になって列強各国に追いつくために、一丸となるよう、国家神道と武士道基底を全国民に植え付けて来ました。
当時、文明と生活を向上させるという主旨で、列強各国はこぞってアジアにも勢力を伸ばしていた時期です。
当時、フィリピンは300年間スペインに、インドネシアは250年間オランダに、インドは400年間イギリスに、東南アジアはフランスに、中国はイギリスやドイツに入られ、周りは全て植民地化された中、日本にもその勢いは迫っていました。
彼らから言わせれば、貿易を世界的に広げ、私たちの文明が上なので教えてあげ、儲けさせてあげましょうと言うものです。
町並み、暮らしの態度、食事の仕方、軍備、マナーから服装、どれをとっても、当時の列強国から言わせれば、差別をして当たり前の劣悪差だったのです。
嘉永6年ペリーがやって来て開国を迫り、不平等条約が交わされ、港を解放しますが、それは中国などで行われていた租界と同じようなものでした。
幕府方も維新方も、脳裏にあったのは、植民地化されることが最も怖かったのです。
しかし日本の町並みは美しくきれいで、人々は礼儀正しかったといいます。
最初にペリーの船に乗り込み面談した二人のサムライは、今までのどの国の者よりも、堂々としていて立派だったと、ペリーは日記に書いています。
二人は白装束を着て、死を覚悟し船に乗り込んでいたのでした。
欧米列強は日本に開国を迫り、圧力をかけますが、この国は武力では制圧できないと、本国に伝達しているくらい、実は相当な武力組織化がなされていたのです。

世界の慣例を破った武士道文化とは何でしょう。
武という字は矛(ほこ)と止で構成されています。
矛とは槍の一種で、一本槍に二つの刃が両脇に付いたものです。
昨今、洒落た人は、矛を止めると書いて武というと、武士道の紳士性を説きますが、止めるは「足」偏であり、軍隊が矛を担いで堂々と行進する様が本来の意味です。
すなわち武士道とは戦闘者の精神なのです。
鎌倉幕府以前にもサムライはバサラと言われ、武勇を誇り勇ましさを主としていました、しかし彼らは義というものを、あまり意識してなかったのです。
敗走する味方の殿様の首を取って、敵方に持っていったりもしました。
やがて武士政権が誕生し、全てのサムライを平定するために、御成敗式目などで武士道としてのあり方などを固めたのです。
そうしなければ安定した世の中は来ません。

この後、武の政権は約750年間わが国に生き続けます。
今で言えば軍事政権です。
しかし歴代の各天下人は、国を平定するのに、無頼の輩はいませんでした。
鎌倉以来、サムライには義という誇りが生まれていたからです。

いつのまにか戦闘者の心は、規範の精神を身に付けていきます。
これは個人的無意識から、普遍的無意識へ自己の士気を作ったということなのです。
礼には礼を、義には勇を表し、姿勢や立居振る舞いまでも、ペルソナとして作ってきました。
また、わが国の精神規範は、武の世界から生まれてきましたが、その基底にある芯の部分は、崇高なる「死」です。
切腹が持つ意味は大きく、武士道の精神文化を純粋かつ実直に造って来たのでした。
礼の作法、高い道徳性、人を助ける事、ありとあらゆる正義、非と感じる悪事、恥を強く感じる心、内向的芯の強さ等、すべて死に直結する文化でした。
無意識に強さを反応させる、奇跡的な構築方法となったのです。

一方、キリスト教は愛で構築されて、規範心が作られています。
両者は大きな違いがあり、性質も違いますが、純粋性と実直性は同じところに行き着きます。
我が国は恥の文明とも称しますが、例えば、街で人を助けるとき、愛の基底の人は、愛という正義で助ける情動が起こります。
死の基底の人は、助けないことが恥という情動が起きます。
一神教が神の導きであるなら、武士道は崇高なる死の誓いなのです。

今、武士道精神を復活させるといっても、死を基本にするわけがありません。
死ではない基底とは崇高なる「真の強さ」です。
強さが基底にあると、対人、対圧力、社会性の構築、戦術、戦略、すべて安定した人格が現れます。
もちろん、現代国際社会に応用させる、基準でなくてはなりません。
それこそが現代のサムライの姿でしょう。
死と科学的(生理学)強さを変換させることによって、武士道は復活します。
愛の真実をつかまず、死の真実もつかまず、両者を融合させても弱まるだけなのです。

武士道基底の者

私はリングで強くとも、一般社会で強い者を見たことがありません。
真の強者は一般社会であろうと、戦闘であろうとヒビかない者です。
サムライが持つ強さとは、死をかけて規範に責任を持つ自覚でしてた。決して無頼の輩ではなく、どれほど彼らの芯が強かったかは、歴史が物語る通りです。
武士道精神が現代精神科学「掣圏真陰流」で蘇るとすれば、無意識に規範を尊厳化し、どんな場面でもヒビくことのない、礼儀正しく自立した人格を持つ、芯の強いサムライが現れるでしょう。
(怖がると、ヒビかないは、戦闘生理学では意味が違います)
ヒビきを、意識、無意識の観点から解明したものが、戦闘生理学になり、真のサムライを造っていきます。