佐山サトル 写真

佐山サトル(さやま・さとる)
1957年11月27日生まれ
山口県下関市出身 173p 92s

柔道、アマレスを経て1974年7月新日本プロレスに入門。
基礎トレーニングでキャッチ・アズ・キャッチキャン(関節技)に出会う。
真の格闘技とは打撃に始まり、組み付き、投げ、そして最後に関節技で極ると気付く。
目標を書き出し、総合格闘技の思想を実現させるため、打撃を知りたくキックボクシングの道場(目白ジム)へ入門する。

1976年5月後楽園ホールにてプロレスデビュー。プロレスを行いながらも、格闘技の夢は膨らんで行く。
1977年にはレスラーでありながら、キックボクシングの試合を経験。デビュー戦で全米1位の選手との死闘の末、7回ダウンを奪われ判定負け。さらに打撃に目覚める。
その後メキシコ、イギリス、アメリカで海外修行、「サトル・サヤマ」「サミー・リー」等のリングネームで活躍。柔軟性に加えて類い希な運動神経とスピードを駆使した独特のスタイルは絶大な支持を受け、当時の観客動員記録は今も各マット界で語り継がれている。

1981年4月イギリスでのタイトルマッチを目前に突然の帰国命令を受け、正体不明のマスクマン「タイガーマスク」として日本デビュー。
それまでのプロレスイメージを一新する華麗な四次元空中殺法で、瞬く間にNWA世界jrヘビー級、WWWFjrヘビー級の両世界タイトルを制覇、日本中にプロレスブームを巻き起こした。
1983年8月理想の格闘技確立を目指してベルトを返上、新日本プロレスに契約解除を申し入れた。
ルール創りという技術面から、本格的な総合格闘技を創始し始める。

1984年に「スーパータイガージム」を開設、総合格闘技「シューティング」を創始。
かつ旧UWFに「ザ・タイガー」「スーパータイガー」として参戦し、プロレスの中で格闘技色の強い新しい時代を築く。
「シューティング」は精神性の合体した武道を造る夢から「修斗」と名前を変え創始創設。
ヒクソングレーシーを招聘し、バリトゥード・ジャパンを開催。
拡大するにつれ精神性の無さを痛感し、修斗を離れ真の武道確立を創始し始める。

北海道にてプロレスと格闘技(掣圏道)の合体した、SAWを確立しながら、10年間にも及ぶ精神性の追求が始まる。
2003年9月には「掣圏トーナメント」の初開催と同時にプロレス合体を果たす。
2005年3月プロレスと武道を融合した「リアルジャパン」を設立。
2006年掣圏真陰流という、精神性と格闘技の合体した、心武一体となる武道を創始。
興義館を創設。
日本創設以来、これまでに無い武道の歴史に挑戦している。