戦闘生理学
<Combat Physiology>

基本作用

戦いの精神回路

人間が最も強いプレッシャーを受ける、いかなる戦闘下の前後に、動揺を来たさず、冷静な判断ができ、当たり前のごとく平然と、特殊な心が湧き行動するもの。
または、戦闘の最中、最高潮にアドレナリンが湧き立つ中、心のどこかに冷静なる判断があり、体が勝手に動いてしまうもの。
訓練次第で、恐怖は完全優越な感覚に変化した、戦闘トランス状態へとなります。
(他者催眠そのものや、薬などによるトランスではありません。意識がしっかりとある、特殊な戦闘トランス状態です)
昔からよく戦場で言われていることですが、ジャングルなどを歩いて、いきなり敵に襲われたとき、興奮状態の中、必死で逃げる最中、敵の弾がスローモーションに見えたり、いま自分は何をすれば良いかが、冷静に判断できる空間があるといいます。
戦闘時に人間に起こる生理的状況が、戦闘生理学の根本にあります。
この時、冷静に状況を判断できる所は意識ではありません。人間は弱化への知識を詰めすぎ、本能を含める無意識を弱体化させています。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)を併発するように、その場で固まり、身動きできなくなる者もいます。
よく、練習では強いが、試合で弱い選手という人の生理的現象もこれに当たります。
試合や戦闘時だけに限らず、日常におけるプレッシャーや心的障害などの仕組みも、同じ回路を通じて事は起こっているのです。

基本定義

フロイトやユング以来(実はその前からも定義らしいものはあり、仏教などはさらに細かくあります)、人間の心的構成とは、意識の世界と無意識の世界に分かれていることが、科学的に定義づけられています。
この100年、精神生理学は大きく進みました。
近年のMRIの開発で、より進歩し、心の流れが解かって来ましたが、意識と無意識の基本図は変わりません。

右の図のように意識部の中に、自我が存在し、五感があります。
しかしそれらは全体の数パーセントに過ぎず、後の90パーセント以上は無意識の部分で、人の心を造っているのです。
掣圏真陰流の「陰」は無意識の部分を指します。

無意識の底辺には本能があり、次に普遍的無意識があります。
これは全体的無意識とか、共通的無意識とかも言われ、生まれた地方の方言や、習慣や、生育期から思春期での感情などから生まれる、群れ意識みたいなものです。
高校野球などで応援する学校は、たいていは貴方の出身の地域の学校でしょうし、サッカーのワールドカップでは貴方の出身国でしょう。
宗教などもこれにあたります。宗教があるから戦争があるんだと、嫌悪感を起こすより、理解から始めなくてはなりませんね。
宗教心を毛嫌いし、精神基底を無くすほうがもっと怖いのです。

現代日本の弱点もこの中にあるといえます。
掣圏真陰流は宗教ではありませんが、強さが持つ構成の中に、精神基底は大変重要です。
私は神の世界はよく解かりませんが、一神教の人々が幼年期より行う礼拝は、無意識の中に、信じるという物心をつけ、神父様などから正義を植え付けられます。
お祈りの後に行われる説教は、挨拶から人を助けるなど、ありとあらゆる、人が生きるうえでの義の構成です。
無意識の中に精神基底がある人と、無い人の差は歴然です。無意識は意識の10倍もの力があるからです。
信じてもらうのではなく、子供たちが社会を生き抜く、困難な道のために、信じさせる社会のトレーナーなのです。
愛と死の構成で違いはありますが、武士道の強さによく似ています。

普遍的無意識の上には個人的無意識が存在します。
物心ついてから6歳ころまでの第一思想期。12歳くらいまでの第二思想期。18歳くらいまでの思春期。
段階を踏んで、感情と共に個人的な無意識の中に構築して行くのです。
無意識はイメージの世界です。五感で捉えたものが、自身の観念の受けとり方で、無意識にどんどん運ばれて構築されます。
6歳ころから人は、無意識の入口に、観念フィルターを作っていきます。
物心がつくとは判断ができることです。
大人になればなるほど、フィルターは厚くなり、概念も強くなってきます。

例えば、焼きそばを食べて美味しいと感じるのと同じで、麺があり、ハムがあり、ソースがあり、野菜の味がある抽象的な観念の中で、焼きそばという味を認識できるように、概念が生まれます。
概念となる観念フィルターは無意識からの情報を意識へ運びます。
もし、この概念を変えることが出来るとしたら・・・
焼きそばが美味しいものとしてありたいのなら、麺やハムやソースや野菜が、ちゃんとしたものでなくてはなりません。
第一思想期・第二思想期にしっかりとしたものが造られていれば、強さは生まれてきます。しかし、この時期に造られなかった人、あるいは元々弱い人は、どうすればよいのでしょう。
掣圏真陰流は観念フィルターから、その概念を造り変えます。
すると後は、そのフィルターから、それなりの麺や、ハムや、ソースや、野菜が構築されていくのです。

では、強さとは何でしょう。
格闘技者がリングで強いのを、私達は強さとは言いません。リング上だけに限定さるからです。
私の経験からも一般社会に現れるものではありません。サムライとは大きく違います。
純粋なる普遍的強さこそが強さであり、それには強さの定義を理解しなくてはなりません。
それは、自然に情動にヒビかず戦闘モードに入れるものになります。
精神基底(無意識)を造ることが、掣圏真陰流の基本であり、そこから高度な精神術が生まれるのです。