最新情報 2007年11月

2007/11/25(日)

11月29日木曜日、24時25分から TBS のオビラジRというテレビ番組で、私の催眠セラピーが放映されます。

本日、テレビで聖徳太子の番組を見て、恐れ多くもおこがましくもありますが、太子と同じ臭いがすると思ったのは私だけでしょうか。
現在、密教を研究している私にとっては、太子が大変りっぱな方にみえました。

木曜日にテレビ放映される催眠セラピーは、私の全てではありません。
武道を確立するという大きな構想での、精神解体した中での変性意識という部門です。
私にとって催眠は、すでにプロのセラピーとしての粋を越え、さらに武道のため日々進化精進しているものです。

日本人は本番で弱いと言われています。
プレッシャーに弱いのです。
心の解明から解体、強さを創造し、術さえ構築して真の武道を完成させなくてはならないのです。それが私の使命だからです。

聖徳太子の番組では、太子の功績で我が国は多神教国家となり、日本人は「いいとこどり」をしたと放映していました。
確かに日本は今日まで、良い文化をより良く変化させ、高い民度を造り上げてきました。
ですが果たして現代、すべての文化が良いものでしょうか。
現行日本の民度を見よ!と言いたいのです。

芯が無ければ受け入れも、より良く変化させることは出来ず、愚に乗せられるだけです。
そうならないためには、強さを純粋無垢に定めた、偉大なる武道でなければなりません。
29日の番組では、武道を背景に持ち、心を自由に導く私を見てください。

松永先生も変性意識は第九識へ導くものと言われています。
他者を変性意識に導くことは私にとって、ごく簡単なことです。
催眠で大事なのは、その目的に沿って、いかに有効に暗示を入れていくかなのです。
無意識により有効なバリエーションは、豊富に研究し尽くしているつもりです。

そろそろマスクの販売を載せようと思います。
毘沙門天の輝虎マスク、ただ私が被るだけではなく、念が入っています。
ただのタイガーマスクではありませんよ、これからの私は。

12月20日は、見ていてください。

2007/11/19(月)

最高の域に辿り着くために、武道構築は精神分野に進み、早10年が経とうとしている。

今では私は催眠にまで進み、密教に関心を持っているが、一般の方々の中には、またまた佐山が何かとんでもないことに手を染め出した、と考える人もいると思います。
私自身も、あれ? これって洗脳をやってチベット密教を利用して・・・たものと・・
パターンが同類で、疑われるのではと感じがしますが、まったく違います。

まず催眠は科学であり、私の行っているのはショー催眠ではなく科学催眠です。
当初、暗示を解明するために、催眠を研究し尽くしましたが、その材料はセラピー用のものしか無かったのです。

私は多くのセラピーを行ってきました。
そして催眠が何であるかということも把握したつもりです。
気孔も行いますが、従来の気孔とはまるで異なります。
顕示催眠といわれる従来のものではなく、実はしっかりと催眠状態(変性意識)にさせて、様々な手段を取っていきます。
被催眠者はダイレクトに身体にエネルギーを感じることになります。

また、催眠と洗脳はまるで違います。
ダイエットや禁煙などの催眠は、無意識への洗脳術といえるかもしれませんが、
催眠とは元々自己催眠であり、本人がいやなものには入りません。

例えば、被催眠者に
「手を叩いたら立ち上がります」と暗示すれば立ち上がりますが、
「手を叩いたらあの人を殺します」と言ってもやりません。
また、「あなたは勝ちます」としても無意識への効果はありませんが、様々な間接表現を用い、自己の観念を変えることは出来ます。

密教について。
私が出会った密教は、科学密教です。
もともと空海からの伝道は、当時の自然科学であったようです。

松永先生は18年の苦行を経て「神はいなかった」と言った、大アジャリの方です。
さすがに空海を継承される方は、現代の科学を把握しておられ、驚愕しました。
私も精神性の追求から、精神分析学をはじめ、大脳生理学や量子力学にも手を染めて来たものですから、先生の言うことがいちいち理解できるのです。
そして、九識論は現代科学の域をさらに進んでいるというか、現代科学がそこまで追求しない、自然科学での心理をついたものといえます。

では武道として何が良いかというと、人間を問うことが出来ることです。
自己の環境を整え、人間形成への導きが見つけられるのです。

格闘技とは感覚意識です。
武道とはそれらを最強へと磨く機関です。
最強とは純粋無垢なところです。
純真ではありませんよ、自然のという意味です。純粋を持つ心が最も強いのです。
これは前々から私は言っていましたね。
その理論が密教にはあるのです。

松永修岳先生&佐山サトル

松永修岳先生が開いてくれた、私の講演でのスナップです。

2007/11/12(土) 講演をしてきました。

今まで経験したことのない、凄い講演でした。
ザ・ペニンシュラホテル・東京という最高級な所で、日本のVIPの人々の前で話をして来たのです。
第九識を教えていただいている先生の主催で、第九識を踏まえた格闘技論をしゃべらせていただきました。

先生は、第五識(五感)、第六識(意識)、第七識「マナシキ」(自我)、第八識「アラヤシキ」(無意識)、第九識「アマラシキ」を、科学的にしかも徹底的に知り尽くしている人で、現代科学の大脳生理学から量子力学まで全てを熟知しておられます。
その科学的な知識が本物であると解かる自分には、先生の五識から九識までの理論が、手に取るように理解でき、武道開発の全てが解決した気がします。

先生は、弘法大師「空海」を継承する、密教の大行満大阿闇梨(アジャリ)で、十八年の苦行を経て、ニーチェのように神はいないと言った人です。
なんで阿闇梨さんがと思われるでしょうが、実はそれが空海の伝える本物の密教の姿のようです。

密教はインドで生まれ、チベットで育ち、空海が中国に渡り継承し、その後、中国とインドの密教は衰退していきますが、日本で空海によって空海密教が開花されました。
それは空海が密教を科学で構成した、自然学の科学者であったからです。
空海密教が徐々に解かってくると、改めて空海の凄さが身にしみます。

私が言っているのは宗教上のものではありません。
先生は風水をやっていますが、それも自然科学での気の流れを分析したもので、例えば、どの色が人間の目に入ってくると、どう心理的に動くかとか等を解明したものです。
自然科学、それが空海の密教です。ですから、宗教と違い、科学の発達と共に進化していきます。またそれが空海の教えのようです。

ですから、現代に空海を継承するなら、現代に進化した科学者でなくてはならないのです。
私は先生がどう思われているか解かりませんが、大脳生理学や心理学など、九識論と連動され、まるで科学者と話しているようです。
先生のHPを見ても、風水のことが出てきますが、実はその中身には科学が詰まっています。

水戸光圀が水戸学として、儒教から武士道を構築し、山本常朝が葉隠として、禅から武士道を構築したのなら、私(おこがましいですが失礼)は現代科学で武士道を構築しようとしていました。

九識論に出会った今、さらに奥深い武士道が完成しそうです。
上杉謙信が密教の毘沙門天の化身なら、私は現代の毘沙門天の化身となって、虎のマスクを被りましょう。
戦闘生理学が九識と一体化したとき、さらに進化した科学武道が出来る、大きな期待感と確信があります。

2007/11/06(火)

今日は凄い対談と、食事会をしてきました。
まだ皆さんにははっきりさせることはできませんが、いずれドカーンと発表することでしょう。
武道が出来上がります。
そのために、最近の私が何をやっているかを、お知らせしましょうね。

精神科学はいつ頃構築されたのか?
意識・無意識の定義がフロイトによって起こされて100年、その前にも200人くらいが唱えていましたが、それでも200年のことでしょう。
その後、現代科学は意識・無意識を進化させ、今日までその理論で成り立っています。

催眠はというと、古代エジプトの時が最も盛んだったようで、現代ではこの50年から科学的に構築されてきました。
世界で完全に認められ盛んになりだしたのが、この2〜30年前からです。
おそらく古代では、我々が今行っているものよりも進んでいたでしょう。

現代精神学での基本概念は、氷山で例を表すように、海の上に見える氷山が意識の世界、しかし氷山は実は海の下に90パーセントが沈んでおり、無意識の姿がその沈んでいる部分というものです。
ユングの理論ですと、その無意識の中には普遍的無意識と個人的無意識が存在し、無意識が意識へ観念を運ぶというものです。

すると、仏教には九識論というものがあります。
第五識から始まり、五識とは人の五感(眼・耳・鼻・舌・身)の意であり、現代精神学の五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)のことです。
第六識とは、思考意識の意で、現代精神学の顕在意識(意識)と同じものです。
第七識とは未那識(マナシキ)と言い、自我意識を指します。もちろん現代精神学の自我と同じ意味です。
第八識とは、阿羅耶識(アラヤシキ)と言い、潜在意識のことで、意味も現代精神学の潜在意識(無意識)の観念と同じものです。

これから先の第九識は、現代精神学にはありませんが、これも科学の世界です。
あるいは哲学の世界で、第九識は純粋無垢の世界です。
そこに入ることで、五識・六識・七識・八識が一体化し、全てが充実するというものです。
反対に言えば五感を充実させ、意識を充実させ、自我を充実させ、無意識が充実され、純粋無垢は一体化されるのです。
第九識の意識は、純粋無垢、宇宙の感覚を一体化させることで、真の人間を問うものになります。
そのために五識からを最高の感性で養い、全てを構築するのです。

これは仏教という宗教ではありません。
現代科学が解き明かす前に、解明されていただけのことです。
宗教でもなく霊でも無く、科学なのです。

誰のために何を求めて闘いは続くのか。
格闘技を創始する途中から、一体何のために戦うのかが、私が求める最大の疑問となり、心武一体型の武道を形成することを目的としてきました。
しかし、強さへの生理的な作用は究明できても、構築という方でまだ疑問が残っていたのです。
肉体的な強さを造っても、精神的な強さを造っても、構築と共に培われなければ、人間を造ることは無意味で、無頼の輩をのみを作ってしまうことになります。

道場や私の前でだけ、礼儀正しいものであってはなりません。
心武一体とは、武道が造る人間性を求めるものだからです。

はたして礼儀や作法だけで、人間性は造れるのか?
その疑問を打ち払うように、九識は私の心を晴らしました。
待っていてください。完璧なる武道を創ってみせます。

遠い昔の理論が科学であるとするなら、その一体に導いてくれるものは、私にとっては求勝の存在「毘沙門天」です。
これからの興義館は毘沙門天を置き、試合用のマスクは毘沙門天の魂を入れて行きます。

2007/11/05(月)

佐山が造る武士道は、いよいよ局面を見出したと思います。

「武士道とは死ぬこととみつけたり」
葉隠武士道の代名詞みたいな言葉ですが、この解釈は死ぬことが目的ではないと、他の文章からも解かるものです。
戦闘者の心から生まれた精神性文化、というのが武士道の実態ですが、今日までその精神性は無頼漢の輩にはならず、実に崇高な民を育ててきました。 仏教、儒教、禅などに感化され、封建制の厳守に文化を育てられ、我々の価値観や規範が作られてきたのです。

もし我々に現代の精神学よりも、さらに歴史があり性悪説や性善説をも越える科学があるとするなら・・・
死生感を越える生なる深さがあるとするなら・・・

現代武道を創るにいたり、私には最後の疑問がありました。
それは不動を司る心と、人間性を構築する接点です。
強さの中に、礼儀さえ教えればそうなるのか・・・

私は出会いました。
武士道と現代科学とそれが合体したら、歴史的なものとなるでしょう。

ヒントは、この度、興義館ではマスク販売を行いますが、全て私が着用し証明を付けたものです。
種類は、着用・使用・試合使用と分かれますが、これから私の試合用のマスクには、私の守護神である、毘沙門天か不動明王を縫いこませます。
これからの私のマスクには守護神が宿るのものとなります。

完璧なる武士道に向けて・・・・。
意識と無意識のさらに深くあるもの。

本当に催眠まで研究して良かったと、あらためて実感しています。
変性意識(催眠状態)はそれらを導く、大いなる道となるからです。

近く、私の催眠が地上波テレビで放映されます。