2008年2月20日(水) 構想
本間社長とロシアのコーチ達とで作り上げた掣圏道は、大変有意義な格闘技でした。
歴史に見ても優秀な格闘スポーツです。
彼たちと話し合ったルールは、格技の実戦性スポーツと観客受けを統合して出来上がったものです。
もちろん私も色々な意見を述べさせていただきました。
その時は、本間社長から協力要請を受け、社長の目的とする社運をかけたスポーツ開発格闘技だったのです。
私はというと、当時から育てている掣圏の理論を話し、その将来を見据え、社長も納得の上「掣圏道」というプロスポーツの名をつけたのです。
実力は先行したのですが、私には武道を創り上げるという、理念継続中の状況だったのです。
ですから何も分らない人は、佐山武道の姿と思っている人も少なくないでしょう。
武道を創るとは、一つの流行る格闘技を創るのではありません。
掣圏道の本も出ましたね。
空手着を着て行う市街地型実戦格闘技というものです。
徐々に武道に近づいて行きました。
私の言動を見ている方には解ると思いますが、私は実戦を常にテーマにしています。
いつしかリング上の実戦はとうの昔に通り過ぎ、精神性の実戦に入りました。
リング上の実戦真理と普遍的社会生活の関係、リング上の実戦と戦争戦闘時の実戦真理との比べようもない差。
これを分析しなければ、侍時代の崇高なる精神性は理解できないでしょう。
当時のことをそのままやるつもりがないこそ、現代に何が出来るかのために分析をしているのです。
真の実戦性を追求するとは、人間を知ることです。
私は精神分析と歴史を学びました。
真の武道が生まれる礎の禊ぎなのです。
歴史の真実と虚構を知り、催眠まで天才的に誘導・暗示できるようにもなりました(催眠が全てではありませんが)。
私の真実とはこれからです。
なぜ私が今、格闘技に関係ないようなフリをするのか?
それは邪魔されたくないからです。
柵を作りたくないからです。
惑わされたくないのです。
よけいな心配をしたくないのです。
よって私は格闘技もプロレスも見ません。
いつも黙って部屋にいます。
思考をリラックスで沸き起こし、必要に応じて没頭します。
もちろん息抜きには出ます。
今、見えてくる武道は、人間形成性をするものです。
義を興すためのものです。
何が現れても驚かないでください。
表れる武道は最終段階に入っています。