最新情報 2008年7月

2008/7/28(火) 「掣圏」のページを更新しました。

掣圏のページに「圏の道 戦わずして掣す」を追記しました。

2008/7/28(月)

心の中のパートとは、無意識に眠る過去の神経記憶概念。
クオリアの理論に似ている。

過去に経験して積み重ねられてきた様々な神経概念は、無数のパートとなって無意識に存在している。
神経が無意識を循環して必要なパートを取り上げ、意識に現れるのだ。
パートの神経とはイメージであったり、感情であったり、時には情動として残っている。

自我は、通常、自己の最も強い味方である。
生まれてから無意識に次々と貯められるパートを、その都度、自分に一番調子良いようにホメオスタシスしてくれているからだ。
そうでなければ人間は気がおかしくなってしまう。

時には調整出来ずに身体に現れるパートがある。
それは癖や好き嫌いなどであり、悪いものの場合は、ショックや嫌悪感などでホメオスタシスできずに、無意識内部に残り、身体の調整を狂わせていく。
この場合、身体とは自分でもコントロール出来ない、自律神経に表れる。
よく神経質で線の細い人とか、反対に図太い人とか言われるが、まさにこの情動を調整する自我の事である。

自我は意識と無意識に基礎構成された神経回路であり、
強さとは、弱さにヒビかない無意識構成の免疫から生まれてくるのだ。

武道とはまさに自我を強くするものである。
自我を鍛えるとは無意識に免疫を持ち、ヒビかないパートを構築するものだ。

SSRセラピーは、現代科学との共通理論と共にある。
精神を極限に突き詰めた、掣圏真陰流と共に永遠に歩み続けるだろう。

将来に歩む掣圏士のリーダー達は、固定化された概念にとらわれることなく、形而上を見据え、形而下の科学を勉強し続け、真の強さを求め続け進化して行かなくてはならない。

言語は神経である。
人は言語で無意識のパートを変化させることができる。
催眠をかけずとも変化はできる。
実際に私は催眠をかけずに施術することがしばしばある。
ただし、変性意識は集中という特徴を持つ、その際、意識よりも感受性が高く、頭の良い無意識と会話をするのが現代催眠である。

SSRではご存じのように、テレビで皆さんが見るようなショー催眠ではない。
精神構築や暗示を施す我々には、猫になろうが、突然踊りだそうが、それらは何ら無意識の状態を変えるのに関係ない。
無意識が理解してしまう催眠心理学を暗示していくのだ。
現代催眠の芸術といって良いだろう。

ミルトン・エリクソンが晩年悟った催眠法がメタファーだが、無意識は意識よりも10倍も集中力や情報力があり、意識と無意識の中間で、意識で理解させず、無意識で理解させてしまうものだ。
被催眠者は意識で解らずとも、いつのまにか正常になっている。

最近SSRを訪れるクライアントの方は、私が故意に深い催眠に入れず、しかもまったく別の事を、無意識下と意識上かも知れないところで、しゃべっていることに戸惑いを見せる。
しかし終わると晴れた顔を見せて帰っていく。

自律神経系や気功系の方には、深く入れて調整することはあっても、暗示系では深く入れても意味がないことを感じる。
古典催眠で無意識の深いところで暗示しても、三日くらいで解ける場合があるからだ。
浅いところでは、意識の集中も加味され、長く暗示が続くものなのだ。

真の武道とは、精神の解析をすべて理解するもので、戦いという過酷な状況の中、不動の意思を導くものである。

武道が行う精神セラピーは最高に役立つと考えている。

2008/7/22(火) 「掣圏」のページを更新しました。

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