最新情報 2008年9月

2008/9/21(日)

商品販売ページに、佐山サトルとYNのコラボレーションブランド「TIGER ARTS」へのリンクを掲載しました。

2008/9/12(金) 技名募集

昨日、興義館にて公開しました、空中二回転半の新型ローリングソバットの命名を、皆さんに公募します。
イープラスのブログも参考にしてみてください。
採用された方にはプレゼントがありますよ。

9月17日までに、ハガキでご応募ください。
採用された技名は、9月18日リアルジャパン大会の中で発表いたします。
締め切りまであまり時間がありませんが、良いアイデアがある方は是非お送りください。お待ちしています。

■応募締め切り
2008年9月17日(必着)

■宛先
〒113-0033 東京都文京区本郷3丁目6番13号 太平ビル2階「興義館」

■以下を必ずご記載ください
新技の名前、お名前、ご住所、連絡の取れる電話番号

2008/9/10(水)

私の確信ですが、大変なものが生まれます。
十年早いとか言われる次元のものどころではありません。

掣圏真陰流はまたの名を、武士道「真陰」と言います。
私の25年間はこの武道を創るためにあったと言っても、過言ではありません。
佐山はいったい何をやろうとしているのだと、言う方がたくさんいらっしゃるようですね。
新しい格闘技をやると言ってまだやらない。
できないのではないか?
催眠?
歴史の真実?
思想?
何を場違いなことに時間を費やしているのか?
そう疑問を抱いている方も少なくないでしょう。

待ってください!
私の目標は国技です。
当初から述べていたので、見たことがある人は「ああ、そういえば」と思い出すことでしょう。
私は国体(国家の体制)に責任を持つ者でありたい。
大げさな意味ではありません。

例えば職人さんが、誇りと意地をかけて、信じられないくらいの物を作り出す手法。
やがて伝統芸になり、その製品には魂が宿ります。
ちょうどマスク制作の中村ゆきちゃんが、マスクに命をかけ情熱以上の職人哲学を持ち、凄いものを作り出すのと同じです。

今月からタイガーショップは厳選された職人のパートナー、
「タイガーアーツ」
「ノーティーボーイ」
「ファーストタイガー」
「フォレストブルー」
にそれぞれ独立して、各自が最高の商品を扱うことになります。
私の場合は武道であるだけの話です。

私の場合は武道です。
時代の責任者である以上、安易な情熱だけで創るつもりはありません。
武道の原型「武士道」の真理を解明し、歴史に恥じない新しい武道を創っているのです。

格闘技をルール付けして、観客受けを狙い世に出すことは、ちょっと小賢い者なら、金儲けのためにと誰にでもできるでしょう。
想像してください。
ルールを考え、そのルールに則り、技術まで教える。
おまけに育てるために、当時受けもしない興行まで開催する。
そして今の総合格闘技の土台を創った?
これを称して佐山は10年早いと言われているのでしょう。

生意気なことを言うようで申し訳ないのですが、私の眼中にはありません。
単なる通過点に過ぎないと無意識が申しております。
ここまでなら誰でもとは言いませんが、情熱あるものならできます。
世界初であったとか言われても、そんなのも関係ありません。
ポピュラリズムで行き着くものではないのです。
真実を追いかけなくては、哲学の次元には到達できないことを、職人なら自覚しています。
この自覚がみなさんにとって失礼になるのであれば、謝らなくてはなりません。

ひとつの武道を創るということを、よく考えて見てください。
そもそも武士道とは何だったのでしょう。
詳しい事は次回のリアルの大会で、武道通信の杉山先生から新しい本が販売されますので見てください。
もの凄くためになります。
杉山先生は掣圏のご意見番でもあります。

これまで我が国には、武士道として「葉隠」や「水戸学」などがありますが、武士道として体系付けられていたのは、各諸藩にそれぞれのものがありました。
そもそも武士道という名は明治から言われ出したもので、その二者は明文化され残されていたから、後世の人々が「このようなものだ」とイメージ化されたのです。
明治に新渡戸稲造氏が紹介した「武士道」は、当時の先進諸国である欧米に、日本文化の規範性を紹介し、何とか不平等条約を脱し一流国へと認められようとまとめられたものでした。

当時、各諸藩は一つの国として独立した、現代で言う軍事政権でした。
しかし、どの藩もバイキングのような無頼の社会ではありません。
死を賭して規範を育成した社会を形成していたのです。
世界一の識字率を誇り、町並みはきれいで清潔、人々は礼儀正しく人格に満ち溢れている。
明治あたりに来日した欧米の人々が、口を揃えて言う台詞でした。
これほどまで民度高き民はどこへ消えたのでしょう。

今でも精神の強さとは何かを考えたとき、「武士道」が常に表れます。
精神とは何でしょうか?
人格と強さとは関係あるのでしょうか?

人格とは、ある方向へ向かっていく姿勢です。
高度な姿勢は、真実に向かっていくものです。
武士道「真陰」が現代に送り出す姿勢とは、科学、哲学、教育、実戦が伴った真実です。
ゆっくりと思われ、実は私が日々もがき苦しんでいるのは、これらと共に進んでいるからに他ありません。
現代武士道である格闘部門は、普遍的な哲学を生かすペルソナ型儀式であるものです。

近々その構想をお見せしましょう。

2008/9/1(月) 武士道「真陰」SHINKAGE

精神基底の構築として「真の武道」を創らなくては、この国は救えない。

武道と武術とスポーツは、全く異なったものである。

武士道という言葉は明治まで殆ど無かった。
概念である「道」は、当時の国の概念「お家(藩)」を守ることであり、そのために侍が戦術と思想と礼儀をもって、民を安定させるための文武両道の道である。
武の部門は、武術と呼ばれ、剣術や柔術、弓術等のように、術として存在していた。

文武として、思想教育や自藩の真の歴史観、精神学、武術が揃ってない武士道はあろうはずもない。

とすると武士道である真の武道とは、国体を守るべき精神の道となる。

武道がポピュラリズムに迎合し、上辺だけ、礼儀礼節、クリーンファイトとやっても、スポーツに過ぎず、他の競技と何ら変わらない。
ましてやプロ興行で悪行悪態を売る姿は、もっとも馬鹿げた演出であり、体制に悪影響を与える愚行であって、何の良い作用もさせない。
リングを降りて強い者を見たことがないのは、そのような者がマスコミに踊らされて、精神基底を屈辱的に破壊する手助けをするからだ。
表面だけのスポーツに成り下がった武道が、その機能を果たすことはない。

柔道が、相撲が、破壊されようとしている状況。
剣道は未だ生き残っているが、この押さえつけられた現行国体と、ポピュラリズムに乗せられ、自由をはき違えた者達の増殖によって、滅びるのは時間の問題かもしれない。

また、「文」に関与せず、戦闘の技術だけを追うものが武術といえる。

掣圏真陰流は高級武道であると宣言する。

現代武士道の基礎
「崩壊した我が国の精神基底」

大航海時代、普遍的無意識の差別観から、先進諸国は文化を与えるという名目で、その精神基底までをも変えようとしてきた。
差別という観念のない時代である。

武士道という文化は、彼らの文化を取り入れ急成長し、日露戦争を経て世界の舞台に台頭してきた。

その時ささやかれた黄過論は、危機感を募らせた白人社会の普遍的無意識の心理で、黄色が白を越えるという意味だ。

日英同盟、国際連盟常任理事国、果ては5・5・3条約、満州国承認問題、国際社会に押さえられる姿。
映画「猿の惑星」に描かれた猿達が、日本人をイメージしていたことは有名である。

日本だけではない、世界が成熟してない時代といってよいだろう。
日本は国際社会や新秩序に成熟してなかった。
そして政治に成熟していないのは、今も変わらない。

そしてあの大東亜戦争が始まり、時代は流れ敗戦。

スリーS政策とは、スクリーン・スポーツ・セックスによって、敗戦させた国の民達に幸せ観を与え、真実を振り返らせないようにする事である。
スリーSのどこが悪い?
国民が幸せ観を味わうのは良いことだ。
ただ、他の国と我が国の決定的な違いがある。

彼らはスリーSを経験しながら、自主独立し誇りを与えられている。
悪い物は悪く、良い物は良いと言える基礎がある。
常に上ばかりを見て真似ごとをすることはない。
確固たる精神基底を持っているのだ。

世界は縦で生きる人々なのである。
かつて我が国には武士道という縦の線があった。

終戦時、白洲次郎氏のように連合国に逆らっていた者もいたが、多くは迎合していった。

敗戦国、黄色人種。

歴史観を変えられ、宗教心(宗教に限らず)を取られ、スリーSを見せられGHQに迎合していった。
そうしなければ生きて行けなかった。

幸せ感を与えるアメリカのやり方は、よほどリベラルに見えたのであろう。
CIAがビートルズを日本に呼んだのは有名な話だ。

実際のアメリカ人は、しっかりとした宗教感を持ち、その規範に忠実な人々が多い。

当時、世界の普遍的無意識が最も怖がり、取り去りたかった武士道精神は、ある精神構築によって構成されていた。

掣圏真陰流は、大義と相当な技術を持ってそれを復活させる。

国際社会、大切なのは情報であり、信頼あるコミュニケーションである。

二千年前の縦の線、仁義礼智信、孔子の時代と何ら変わらない。
「信」=信頼関係は、仁義礼智が固められている自国あっての話だ。

迎合する者より、確固たる縦規範を持つ者の方が信頼されるのである。

見よ!アジア外交を。
押さえつけられている日本の現実を。
弱体化した精神を読まれ、何も出来ないことを知ってしまったアジアの国々。
もう二度と戦争は御免(当たり前)だと、リベラル・ポピュラリズムに走る日本。

日米安保と言いながら、実はアジアの安定を視野に入れているアメリカ。
共和党か民主党かで、姿勢が厳然と変わるし、また、いつ世論が反転するかも知れない。
そんなことは知ったことではないと、彼らの普遍的無意識は言う。
「オレ達が何故日本にいると思っているんだ」「俺たちはいつ出て行っても構わない」
「でもそうしたら、日本は軍備を拡張し、中・韓・朝も負けじとなり、アジアの安定は無くなるだろ」
確かにそうである。

彼らは未だ目が覚めず危機意識をもたない日本の民と、中・韓・朝を区別はしていない。
日・中・韓・朝に対峙する普遍的無意識などはどうでもよいのである。

それでもアメリカは日本にとって、最も信頼できる国であることは間違いない。
レベルの高い彼らと、日本の民度の高さはよく合う。

問題はその民度が落ちるだけ落ちていく、日本の現状なのである。

真の武道とは、彼らにも信頼される精神基底を育むものだ。

明治に洗濯された日本が、今度は最新の洗濯機とアイロンで、国際社会に出ても恥ずかしくない様に、ピシっとするのである。

果たして真の武道とは何か?

武道の原型、武士道とは死を賭した普遍的無意識である。
当時は「お家」藩を守るための掟。

侍は切腹の作法を身につけ、規範を覚悟させ人格を造ってきた。
今の時代に同じことを言うつもりはない。

キリスト教が愛で構築された規範規定なら、武士道は死で構築された規範基底である。
両者はまったく逆のものであるようだが、民度の高さで一致する。

例えば、街で倒れて困っている人を見ると、前者は愛で助けるが、後者は助けなければ自己の死を負う。
その感情は、恥の概念となる。

日本人独特の遠慮や謙虚や、しとやかな立ち居振る舞いは、覚悟を内に秘める作用をする文化なのだ。

切腹の規定は、熱く怒りに燃えたり、精神を疲弊したりしての死ではない。
義のために何事もなく、死を選ぶことである。

無意識から生まれる真の強さの軸だ。

真陰は科学である。
義のために何事もなく、死を選ぶ心的状況を分析し、死ではなく、死を超えた生を誕生させる科学こそが、現代武道「真陰」の精神軸だ。
武道であるなら科学を学び、思想を持ち、武道教育を成し、義を構築するための武術を行うのは当たり前である。

恥を文化とし、遠慮や謙虚は無意識に意思を秘め、誇りと信念の概念を造り、真実の軸が出来るのだ。

欧米の彼らが意識の文化だとすると、我が国の精神は無意識の文化である。
科学的に何事にもヒビかない不動心とは、無意識から生まれる姿だ。

1200年の空海科学密教によれば、義の定義は「真実」である。
「真実」は誇りや信念を抱き、謙虚でなければ完成しない。

真実は、無意識の構築から表れる。
真陰の陰とは、無意識のことである。

「掣圏真陰流」武道学校のシステム
真の武道者を造るために

「掣圏真陰流」武道学校のシステム

「精神科学システム」→『戦闘生理学』−『セラピー』
<大脳生理学>
<心理学>
<変性意識学(催眠)>

「思想教育システム」→『プリンシプル』
<真歴史教育>
<哲学>
<国際情勢学>

「武道教育システム」→『興義館』
<礼儀礼節学>
<実戦武道>
<心身力学(自己催眠)>

「実戦武道システム」→『掣圏プロ』−『掣圏アマ』
<儀式奉納型>
<掣圏>
<市街地型実戦>

掣圏真陰流 興義館 総監 佐山サトル