武士道

現代に生きる侍であるなら

礼儀

礼は仁を表すものと言われだして、武士道が荒廃したという話をよく聞きます。
果たしてサムライにとって礼とは何でしょう?
実は自己の無意識に大きく関係するものなのです。

礼に限らず、態度や身だしなみ等は、無意識に最高の姿勢を与えます。
心理学にペルソナというものがありますが、
ペルソナとは仮面。その仮面をつけると、人はそれなりの人格になってしまうというものです。
よく警察官が、制服を着るとどのような場面にでも、突っ込んで行けるといいます。
礼儀作法や立居振る舞いは、自己に身につける制服なのです。
わが国の礼儀は、「背筋を伸ばして」と、よく言われて来ましたが、おそらくその習慣は、民度の高さを造った一端であると思います。

仁を表すことは大切なことですが、生理学的にみれば、仁を表すだけが礼であるならば、精神的強さは造れないことになります。
キリスト教の愛にも色々な愛があるそうで、他人の子でも間違ったことをしていれば、平気で叩きもします。
表面的な愛のみをかかげている現代日本は、自由平等博愛を唱えても表面だけで、子供たちを叱ることも、街で困った人を見ても助けもせず、荒廃するのは当然です。
自我に弱さをひびかせる人格は、無意識の構築にあります。
また、どんなに強そうな者でも、普遍的無意識という社会的な強さまでは、あるかどうかは分かりません。
仁は強さとともにあり、その逆もいえるのです。
強さは仁と共に基底にあり、立居振る舞いに出るものでなくてはなりません。

私がいう礼法とは、型だけ強そうでも、へつらうようなものでもありません。
相手に己の奥ゆかしさを感じさせ、余裕があり、真に強い人格を秘めていますよと、自然に出せるものです。
相手もその秘めたる奥ゆかしさの姿勢を見て、互いに尊敬し合うのです。
それを読めない者は馬鹿です。

服装

もし、武士の時代に、袴をずりさげ、今の流行だとやっていたらどうでしょう。
金髪に頭を染め、ファッションだとタトゥーをいれている?
時代劇に出てくるような、旗本の放蕩二男坊で、派手な着物を着て遊び人の格好をしたサムライ?

着物を着て、袴を履けというのではありません。
現代のサムライのサムライたる着こなしは、派手でもなく、だらしなくも無く、自分自身に自信を持てるものです。
そんな士のファッションをしようではありませんか。

食事

「堅苦しいのはいやだ。気楽にやろう」
姿勢はバラバラ、顔を皿に近づけ、ズルズルと音をたててスープをすすり、これまたテーブルに顔を近づけて、くちゃくちゃと音をたて、口を開けながら食べる姿。
先人に対してだけではない、世界の恥なのです。
きどる必要はありません。サムライとしてごく自然に正しい食事法をすればよいのです。
私はテーブルマナーでさえ、興義館で教えたいくらいです。
また、欧米の一般常識では、酒を飲んでふらつくことは恥です。
現代のサムライは国際社会に合わせた常識を、義務付けなくてはならないでしょう。

強さと免疫

掣圏真陰流がいう強さは、表に出すのではありません。無意識に不動心(無波)のフィルターを持つ、ゆるぎない姿勢が大切なのです。
サムライだからと厳ついた姿をさらけ出すものではありません。
目の前に愚者共がいるような時には、それ正す戦闘体勢はよいです。
古代ローマは裕福状態で、人を叱らなくなって堕落したと言われています。
戦えなくなると人間は堕落するのです。